勉強会@渋谷

勉強会に参加してきました。
経済と政治に関するトピックでしたが、このご時世、暗い話が多かったです。
やっぱり財政破綻とそれに伴う困難な時代の到来は避けられないだろうなあ。

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わいせつ物頒布罪は廃止すべきである

刑法175条1項には、以下の通り記載されている。

わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

法律を学んだことがない人がこれを読んだ場合、必ず疑問に思うことがある。「わいせつ」とは何か、という問題である。最高裁はサンデー娯楽事件において、以下の通り「わいせつ」を定義し、平成26年の判例もこの定義を踏襲している。

1. 徒に性欲を刺激・興奮させること
2. 普通人の正常な性的羞恥心を害すること
3. 善良な性的道義観念に反すること

1は理解しやすい。要は「普通の人が見てエロいと感じる」ということだろう。2は意味不明だ。何が「普通人の正常な性的羞恥心」を害し、何がそうでないのか、私には判断できないし、おそらくほとんどの国民もできないだろう。3に至っては意味不明だ。判例にはこれら3つが具体的に何を意味するかの説明が一切ない。こんな曖昧な基準で犯罪かどうか判断されるのは恐ろしいことではないだろうか。

比較的近年の判例として、平成17年の松文館裁判がある。違法と判断されたので画像は引用できないが、この漫画は特段「エロい」わけではない、巷にあるような標準的な成人向け漫画である。流通方法においても特段他と変わるわけではない。その出版を「犯罪」としたこの判例には様々な問題が含まれているが、根本的な問題は「現状を無視した判断をしている」ということである。以下に該当部分を引用する。

以上のとおりで、本件漫画本は、もっぱら読者の好色的興味に訴えるものであり、今日の健全な社会通念に照らし、いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものであると認められるから、刑法175条のわいせつ物に該当するものと認められる。

「もっぱら読者の好色的興味に訴える」ものが「今日の健全な社会通念に照らし、いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する(=わいせつ物である)」というこの基準に従うのであれば、ほとんどの成人向け漫画がわいせつ物に該当するだろう。SNSのR-18作品や同人誌即売会で販売されている成人向け同人誌も「もっぱら読者の好色的興味に訴える」ばかりなので、全て検挙の対象となる。しかし彼らが軒並み検挙された事例はここ数十年聞いたことがないし、またそうすべきだという意見もほとんど耳にしない。にもかかわらず判例はこう述べている。

原判決の説示するような刑法175条の運用状況からみると、刑法175条に関して、原判決指摘のとおりの社会的な合意が存在していることは明らかである。

「社会的な合意」とはなんであろうか。原判決のうち、それを含む部分を引用する(強調は引用者)。

平成14年までのわいせつ物頒布等被疑事件の検挙人数(中略)はそれぞれ相当数に上っているが、このような刑法175条の運用については、一般国民から特に不当とみられることもなく、むしろ当然のこととして受け入れられていることは公知の事実であり、法律専門家はもとより、一般国民の間においても、性的秩序や最小限度の性道徳、健全な性風俗は維持するべきものであり、その脅威となるべきわいせつ物の頒布等は取り締まるべきである旨の社会的合意が確固として存在している

なるほど多数検挙されていて国民がそれに異を唱えてないので「社会的合意」があるらしい。試しに平成14年の検挙人数を見てみると、400件弱である。確かにこれは多そうに見える。しかし分母を考慮するとどうだろうか。成人向け漫画の一覧を見ると、2002年時点でもかなりの種類が発行されていることがわかる。調べたところ、2002年時点でも少なくとも50冊以上発行されている。それらが月1冊発行されていて、10人の漫画家が執筆していると仮定する。それぞれの作者が執筆した漫画1つ1つがわいせつ物になりうるとすると、その数は1年で 50*12*10 = 6,000件 にも及ぶ。漫画だけでこの数であって、アダルトビデオや同人誌、官能小説を入れたらその数は10,000件を超えるだろう。分母が10,000とすると検挙率は4%でしかない。

平成28年現在はSNSで毎日2,000件を超える成人向けにカテゴリされたイラスト・漫画・小説がアップロードされている。少なく見積もってその1/2だけがわいせつに当たるとしても、1日で1,000件、1ヶ月で30,000件、1年で360,000件である。平成23年から平成27年までの数年の推移を見ると、だいたい1,000件程度であり、検挙率は0.3%以下だ。この数字を見るに、一般国民には「検挙されている」という認識がないだけだ。それを「社会的合意がある」というのは無理がある。

前述の通り近年においてもこの判例は未だ踏襲されている。これは法律論以前の問題で、常識として明らかにおかしい。最高裁にとってはこれが常識かもしれないが、実社会では春画がわいせつに当たるのではないか等というナンセンスな不安が誘発されている。

建前として違法な売春が、実際にはどこでも行われているように、性に対する需要は安定して大規模に存在する。それを「普通人の正常な性的羞恥心」や「善良な性的道義観念」等の曖昧模糊な理由で規制することは不合理である。子どもへの悪影響を考慮したり、それらを見たくない人に配慮したいのであれば、その目的に限定した立法をすればよい。例としては、18禁コーナー以外で成人向け商品を扱った場合に刑事罰を課する、購入前の年齢認証を義務付ける等が挙げられる。このような代替的な方法は誰でもすぐに思いつくし、民間では既に自主規制と称して行われている。

葛飾北斎も春画を書いていたことは歴史的事実だ。それは芸術として書かれたのではなく、もっぱら「実用」の為のものである。「もっぱら読者の好色的興味に訴える」作品は、古来から重要な位置づけであり、またありふれたものであった。それは人が自然に欲する欲求であり、それを作成し、また享受することは人間の根本的な権利の一つである。そのような権利を主観的・抽象的・恣意的な基準で規制するわいせつ物頒布罪は、即刻廃止し、より現実的で明確なルールに置き換えるべきである。

人は適切な時期に死ぬべきか

作家の曽野綾子氏の「高齢者は適当な時期に死ぬ義務あり」という発言が話題となっている。これは極めて難しい問題で、私もまだ確たる答えにたどり着いていない。人は適切な時期に死ぬべきか、すなわち「死ぬ義務」は存在するのだろうか。

私は生命を決して軽んじてはいないし、「死ぬ義務」のお題目のもと、ナチスドイツが優生学の名を借りて行ったように政府が国民の生殺与奪を握ることなど絶対にあってはならないと考えている。生存する権利は最重要な人権の一つであり、いたずらに侵害していいものではない。しかしながら、「死ぬ義務など絶対にない!」という意見にも完全に同意できるわけではない。判断が難しいケースもあるからだ。具体例を以下にあげる。

『製薬業界の不断の努力により、ある新薬が開発された。その新薬を使えば、がんの進行を抑止することができる(それがたとえ末期がんでも)。ただし、薬の効果は一月程度で切れるため、毎月忘れずに飲み続けなければならない。さらに悪いことに、その薬は特殊な製法を用いて作られており、一錠300万円かかる(年間で3600万円!)。つまり、他の原因で死なないかぎり、家族はその人の延命の為に毎月100万円支払い続けなければならない。』

「そんな薬、現実に存在しないじゃないか」「保険が適用されない前提なのはおかしい」等の意見もあるだろう。しかし、前者に関しては、それに近い新薬が既に開発されている。後者に関しては、先述のリンクを読めばわかる通り負担が国に転嫁されるだけである。もちろんこの薬に関してはまだ充分な臨床データがないので、今言われているほど万能ではないかもしれない。しかし、将来そのような「高額だがそれを使えばいくらでも延命できる」何かが発見される可能性は充分ある。

生命は重要であるが、だからと言って遺族や国(≒国民全体)に無限の経済的負担をかけていい理由にはならない。「人には死ぬ義務などない。生命は何よりも大事で、お金をいくらかけても守らなければならない」と考えているうちは、この問題は解決できない。

もっとも「死の義務」の存在を肯定したからと言って、この問題が解決するわけではない。上記の理由で「というわけであなたは死ぬべきなので、死を受け入れて下さい」と言われても、納得できる人は少数だろう。私も仮に今末期がんで死ぬべき旨宣告されたときに「その通りですね。そうします」と言える自信は到底ない。それが「死ぬ義務」を私が全面的に肯定できない理由だ。だからと言って、この問題を永遠に先送りすることはできない。

日本人の平均寿命は基本的に伸び続けており、今後も伸び続ける見込みだ。家計に対する負担も国家に対する負担もそれに伴い増大していき、どこかで必ず「死ぬ義務」の問題につきあたる。医学・薬学の発展により医療費が劇的に下がる可能性もないとは言えないが、現実的にはこれらの発展に期待しつつ、「死ぬ義務」に関しても議論しなければならないだろう。

私の母は、最近急逝した。まだ70歳を迎える前だった。長く苦しまなくてよかったと思う反面、一日でも長く生きていて欲しかったとも思う。しかしそのために月300万円かかったとしたらどうだろうか。私は聖人君子ではない、普通の人間である。おそらくは、しばらく経った後に「稼いだお金以上が医療費で消えていく。このままではとても生活できない。いつまで面倒を見続ければいいのだろうか。早く死んでくれればいいのに」と思うことだろう。後ほどその発想に関して罪悪感を抱く。そして自己嫌悪に陥り、それは苦しみとして心に長く残る。ついには耐えられなくなって自殺してしまう。母は自分のせいで息子が死んだことを悔やみ、投薬を拒否して一ヶ月後に死を迎える。

客観的に見れば、これは極めてナンセンスで不幸な結末である。先程も述べたとおり、国が医療費を負担してもこの問題は解決しない。高額医療が必要な家庭は年々増大し続けており、国がそれら全ての面倒を見れば社会保障費のさらなる増大を招く。その負担は将来の大幅増税で返ってくる。論理的には「死ぬ義務」の議論は避けて通れない。

誰だって死ぬのは怖いし、考えるのすら嫌だ。「死ぬ義務」なんて、話題にすらあげたくない。それは私も同じである。しかし、我々はそれを考えなければいけない時期に来ている。今必要なことは、「死ぬ義務」に関して意見している人を袋叩きにすることではなく、それに関して積極的かつ理性的に議論することだ。それは死ぬためではなく、現在及び将来の国民が幸福に生きていく為に必要なことである。

賭博・風俗・麻薬は合法化すべきである

需要が多いものを違法化するとブラックマーケット化する

日本では賭博も風俗も麻薬も違法である。しかし前者2つは建前に過ぎないことを誰でも知っている。賭博に関しては競輪・競馬・ボートレース・パチンコ・麻雀・賭けゴルフその他、風俗に関してはソープランド・ヘルス・ストリップ・イメクラ・ハプニングバーその他のように、数が多すぎてとても「例外的に許している」とは言えない。このように明確な需要がある産業を違法化すると、まともな企業が参入できなくなり、暴力団やマフィアの資金源となる。禁酒法がそれをよく表す前例である。実際、(国が管理するもの以外の)賭博や風俗産業は暴力団の重要な資金源となっている。そしてこれらの産業に従事するもの(例えば風俗嬢)が危険にさらされる。これらの弊害を防ぐ簡単な方法がある。合法化して国が管理することだ。

欧州では合法化の流れが進んでいる

欧州では合法化の流れが進んでいる。オランダの飾り窓は既に名物化しており、アムステルダムの中心街(女性や子どもも歩いている場所。流石に見えにくくはしているが)で女性が堂々と売春している。この飾り窓は国が管理しており、売春婦は事前に登録して、許可を得た上で場所を借りて「仕事」をする。定期的な性病検査が義務付けられており、これは女性と顧客の双方を守るための措置である。オランダでは売春婦が「仕事」として認められている。性交同意年齢は16歳で、売春も16歳から行うことが可能だ。ドイツでも風俗は合法で、政府はセックス税を徴収している。ヨーロッパの他の国々でも合法化・非犯罪化の流れが進んでいる。欧州ではないが、オーストラリアには株式上場を果たした売春宿もある。

この流れの根底にある思想は、風俗産業従事者の保護である。アムネスティ・インターナショナルは風俗産業の非犯罪化を人権擁護決議で採択した(合法化でないのは、統治機構が不安定で合法化しても適切に管理する管理能力がない地域も存在するから)。「体を売らなければ生きていけない人の人権保護」という観点である。この採択に関して、貞操観念が強い国(イスラム教徒が多い国家やアメリカなど)からは批判も多い。しかしその主な理由は「売春行為は汚れている」「女性を搾取して金銭を稼ぐことを国が許容することになる」等のような論点がずれているものが多く、人権に対する考え方というよりは倫理観の違いが見て取れる。

風俗がこのように難しい問題を孕んでいる一方、賭博や麻薬が許されている理由はシンプルである。それをやりたい人がいるからである。先述したオランダでは、賭博や麻薬も合法だ。ただし無制限ではなく、生活破綻者を出さないような一定の制限はある。それでもギャンブル中毒や麻薬中毒者は出てくるので、その数をいかに減らすかが重要となる。

合法化した方が経済的であり、かつ安全である

そもそも日本には伝統的に性のタブーがなく、性的なものが罪になり始めたのは明治以降欧米の影響を受けてからである。歴史を勉強しなくても、アダルトビデオや成人向け漫画を見ればタブーがないことなどすぐにわかる。米国はまだ規制が強いが、欧州はどんどん規制が緩くなっているので、「欧米に合わせる=性の規制を厳しくする」という図式は成り立たなくなっている。そして先述のように実際は日本には多くの性産業が存在し、法を現状に合わせるのであれば合法化する方が自然である。管理の仕方は合法化して既に成果をあげている国家から学べば良い。

賭博も風俗と同じく、実際は公然と行われている。実は麻薬もそうである。アルコールやタバコは麻薬の一種であり、タバコは大麻より有害だ。今の法規制は偏っており、科学的根拠に欠けている。麻薬は既にまかり通っているのだから、「麻薬を禁止すべきか否か」でなく「どの麻薬を許可すべきか」を科学的根拠を元に再検討すべきである。

もっとも、賭博や麻薬は歯止めなくやってしまう人も存在するので、一定の規制は必要である。例えば、賭けや麻薬の購入をする際にマイナンバーカードの提出を必須にし、回数や購入額を電子的に記録しておき、それが所定の回数制限や購入額制限を超えていないかチェックする。超えていた場合は、一定期間経過するまでは購入できなくするようにすれば、際限なく賭博や麻薬をやってしまうことがなくなる。

賭博・風俗・麻薬に関しては、従来はリスク管理にコストがかかったので「禁止するか許可するか」の極端な二元論になることが多く、どちらに転んでも例外が膨大に増えてルールが煩雑化することが多かった。しかし現在はテクノロジーの力によって現実的なコストで高レベルな管理ができるようになった。欧州の動向により倫理的な障壁もなくなりつつある。合法化すれば安全になり、税金も取れて一石二鳥である。ストレスが溜まりやすいこの時代、こういった「おおらかさ」があってもいいのではないだろうか。